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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

「学級づくりの深層」多賀一郎・堀裕嗣

 

学級づくりの深層

学級づくりの深層

 

  教育の根底にあるのはもちろん、子どもの可能性を信頼するという「性善説」的な考え方である。これがなければ教師は務まらない。しかし、例えばいじめ対応などの場合は「性悪説」的な危機管理システムで事に当たらなければならない。いじめはたまたま学校という場所で起きたに過ぎず、そこに教育的な論理を持ち込むべきではない(現にいじめは大人の世界では犯罪とされるものも多い)。その両者を区別すべきである、と第1章の対談で堀先生は語る。

 一般的に、多くのサービス業においては「顧客第一」「お客様は神様です」などと顧客を信頼してサービス向上に努める一方で、万引きなどを防止するために防犯カメラを設置するといった危機管理システムを敷くことを忘れない。しかし、社会が(または教師自身も)学校に対して持つイメージは、「学校は教育という聖なる営みが支配すべき」という理想論になりがちである。教育だけ特別な文脈で語るべきではないのだ。

 危機管理システムを敷くときのポイントは、「きっと問題やミスがあるに違いない」という「信頼しない」考え方である。このアプローチは教育的なそれとは相反するものだが、シビアにその両者のバランスを取ることが必要になる。

 その適切なバランスを取るために大切なのは、「子どもは<他者>である」という、ある意味謙虚な姿勢なのだろう。簡単に「子どもの気持ちがわかる」とか「共感」などと口にしてはいないか。子どもはあくまで<他者>である、だからこそ「理解したい」という<ベクトル>を持ち続けていきたい。