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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

答えを教えてしまえばいい

 この3連休を利用して、相変わらず『学び合い』関連の書籍を読み囓っている。その結果、今自分自身が難しさを感じている「課題設定」の部分について、最もコペルニクス的転回が必要なのは「生徒に最初から答えを教えてしまえばいい」という考え方だと気付いた。

 これまでの自分の授業では、発問はクイズ(=事前に答えを教えず、生徒の力で正解に辿り着くべきだという発想)的な意味合いで使っていた。しかしこのやり方だと、間違った正解に辿り着いた場合、生徒の活動を否定することになる。また、塾や教科書で予習し理解していて答えを知っている生徒は、教師にとっては授業のねらいを妨げる反乱分子になってしまう。結局教師が模範解答へと誘導してしまい、生徒にとっては「いくら自分たちで活動したって結局先生が答え言うんやんか」となり、学びの必然性が希薄になる。

 かと言って、間違いを訂正せず「君たちが活動したこと自体に意味があるんだよ」など美辞麗句で終わってしまうと、「結局この単元で何を学んだのか?」と不安になるだろう(特に成績上位の生徒にとっては)。

 

 そこで、『学び合い』では生徒に答えを最初から公開してしまう。必要ならばいきなり答えを見たって構わない。「なぜそうなるのか」を説明させるという活動を中心に据えればいいのだ。こうすれば、生徒にとっては「模範解答がある」という安心感があるし、「全員がわかるようになる」という課題設定をすることで、集団の中に学びの必然性を生むことが可能になる。

 

 論理的に齟齬がないことは理解できる。しかし、やはりこれまでの授業観を一新するというのは勇気がいることを痛感する。これを参考に明日からの課題づくりに励もうと思う。