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地方中学理科教師/アクティブ・ラーニング/『学び合い』/アドラー心理学/コーチング/

アクティブ・ラーニングは「難しい」のか

理念

 全ての理科の授業をアクティブ・ラーニングとしての『学び合い』に変えて1週間が経った。導入期ということもあり、授業の最後に生徒の感想を書いてもらっている。その中で最もよく見られる感想は「この授業は難しい」という声である。何をもって生徒は「難しい」と感じているのだろうか。

 

 もちろん、授業で扱う内容の難易度を急に上げた訳ではない。教科書に載っていない実験をした訳でもなければ、学習指導要領を逸脱した訳でもない。これまで同様、教科書に載っている実験を行ったり、教科書に準拠したワークの問題を解いたりしているだけに過ぎない。

 であれば、生徒が「難しい」と感じたのであれば、授業の進め方に関してのものに違いない。「受け身ではなく自分たちで学習を進めること」や「仲間と協力すること」、「課題を全員達成すること」などが求められているという点が、生徒に「難しい」と感じさせているのだろう。

 しかし冷静に考えれば、これらは一斉授業であっても普通に教師が求めているものばかりである。アクティブ・ラーニングによって新しく求められ始めたのではなく、どんな教師だって願っていることのはずだ。

 

 ということは、アクティブ・ラーニングによって生徒が感じる難しさとは、一斉授業とは違い、「わかったつもり」「やったつもり」で(言葉は悪いが)誤魔化すことができない部分にある。授業で「わかる」ことが、一斉授業に比べて明確に求められるのだ。

 同じ事が、教師の立場からも言える。一斉授業であれば、とりあえず最低限「教えたつもり」「教科書を進んだつもり」になることができる(堀裕嗣先生が「中学校の授業は”アリバイ作り”だ」と喝破されたのはまさにこのことだろう)。しかし、生徒の主体性に委ねる以上、教師がコントロールするのではなく、あくまでもファシリテートに努めなければならない点が、教師にとっても敷居が高く「難しい」と思わせる所以なのだろう。

 

 したがって、アクティブ・ラーニングが「難しい」と感じられるのは、生徒にとっても教師にとっても「これまで蓋をしてきたものと向き合わなければならない」という事実に他ならないのではないかと考えるのである。