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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

「教育の力」苫野一徳

 

教育の力 (講談社現代新書)

教育の力 (講談社現代新書)

 

 

  日々拝読している高瀬浩之先生のブログで紹介されていて、「そういえば図書館で見かけたような…」と思い出したので読んでみた。高瀬先生のおっしゃる通り、現場の教師にとって、そして今の自分にとって、大変示唆に富んだ素晴らしい本だった。

 

 著者はまず、本の冒頭で「公教育の原理(目的)」を、

各人の<自由>および社会における<自由の相互承認>の、<教養=力能>を通した実質化 

と定義し、この実現のための教育を「よい」教育ということができる、という立場を貫きながら論じていく。また、「学力」については、

現代の公教育がその育成を保障すべき「学力」の本質、それはとどのつまり、「学ぶー力」のことである 

 とも定義している。この「学力」の定義は、内田樹氏が主張されている学力観と同一のものであり、すんなりと腹に落ちた。

 

 その後、「よい」学びを生み出すための具体的方策として、「個別化」「協同化」「プロジェクト化」が有効であると主張する。これらを具現化していくために打ち出されたのが「アクティブ・ラーニング」であり、その1つの形態が『学び合い』であるということだろう(本の中では『学び合い』にも言及がある)。そして、「受験が変わらない限り、結局教育は変わらないのではないだろうか」という問いに対しては、

知識基盤社会、ポスト産業社会を迎えた今、それが大学であろうと初等・中等教育であろうと、学校における学びのあり方の転換は、もはや不可逆なものになっているのです。学校がその育成を求められる学力のあり方は、今後、従来の知識ため込み型の学力から、「学ぶ力」としての学力へと、よりシフトしていくだろうとわたしは思います

 と締めくくっている。

 

 「個別化」についてはドルトン・プランや木下竹次やサドベリー・バレー・スクール、「協同化」については学びの共同体や協力学習法、「プロジェクト化」についてはデューイ・スクールやプロジェクト・メソッドなどが紹介されており、どれも目新しい方法論という訳では決してなく、昔から多くの先人たちが道を切り開いてきたのだと考えると心強い。それらが融合した1つの形態として『学び合い』というものが存在するに過ぎないのだ、くらいの構えでいた方が、変に力が入りすぎずにいいのかも知れない。

 

 それにしても、この本の発行は2014年4月なので、同年の秋頃から始まった「アクティブ・ラーニング」ブームを言わば先取りした内容であることに、先見の明を感じずにはいられない。

 

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