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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

「教師が20代で身につけたい24のこと」堀裕嗣

  

教師が20代で身につけたい24のこと

教師が20代で身につけたい24のこと

 

  堀先生の新刊。「20代」「30代」「40代」と三部作になっている。1冊にまとめてくれたら安いのになーと思いつつ購入。「ついこないだまで20代だった30代」なので、まずは20代から読んでみた(実際「20代」が一番売れているようなので、皆考えることは同じなのだろう)。

 

 印象に残ったのが、「多くの学年を経験する」という見出しの中の

何がその発達段階相応の<発達>であるのか。何がその教師独自の働きかけの成果としての<成長>であるのか。これを見極められない教師に自分の仕事の評価などできるのでしょうか。 

 という部分だ。

 確かに学校現場は「成長至上主義」と言うか、とにかく「成長」という錦の御旗の下にあらゆる教育活動が行われている。しかし、それが本当に<成長>なのか、それとも実は<発達>に過ぎないのかを、冷静に見極める必要があるということだ。教師だって人間なので、「自分の力で成長させたのだ」と無条件に過大評価をしたくなるが、どんなインプットに対してどんなアウトプットがあったのかということを、冷静に評価できる目を養わなければならない。

 例えば、今1歳と1ヶ月になる長男は母乳を飲みながらでないと寝付かないので難儀しているが、10歳になっても乳離れできない子供はいない。そういうことだろう。

 

 この<発達>と<成長>の違いは、子どもたちだけでなく若い教師にも当てはまるような気がする。新採用から何年も経てば、嫌でもその学校での大まかな仕事のやり方などは覚え、それなりに仕事をこなせるようになはるだろう。しかし、それは<成長>ではなく、言わば教師としての<発達>と呼ぶべきものではないのか。教師にとっての真の<成長>とはそんなものではないはずだ。

 貴重な20~30代を単なる<発達>で終わらせず、本当に<成長>したと言えるような教師でありたい。

 

教師が30代で身につけたい24のこと

教師が30代で身につけたい24のこと

 

 

教師が40代で身につけたい24のこと

教師が40代で身につけたい24のこと