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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

「幸せになる勇気」岸見一郎、古賀史健

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

  ベストセラーとなった「嫌われる勇気」の続編。前作がアドラー心理学「入門編」とするならば、今作はアドラー心理学「実践編」。「叱ってはいけない、褒めてもいけない」というアドラーの教えが、教育現場では通用せずに挫折を味わった「青年」が、再度「哲人」を訪れて議論を交わす、というところからスタートする。特に前半は、この「叱ってはいけない、褒めてもいけない」という理論について詳しく書かれているので、教師向けと言ってもいいような内容だった。備忘録的に記録しておこう。

  

なぜ叱ってはいけないのか

 コミュニケーションの目的は合意形成である。その中でも、暴力は コストの低い安易なコミュニケーションの手段の1つである。同様に、「叱る」ことも 生徒たちと言葉でコミュニケーションをすることを煩わしく感じ、手っ取り早く屈服させようとする安易な手段に過ぎない(「叱る」も「怒る」も、暴力的な力の行使によって相手を押さえつけようとしている点において本質的な違いはない)。当然、そんな未熟な手段に頼ろうとする大人(教師)に対して、生徒は敬意を持とうとはしない。

 そして、大人(教師)は無意識において生徒を自立しないことを願う。なぜなら、生徒を自らの支配下におきたい、自立して対等な関係になることが怖いからだ。教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を忘れてはいけない。自分の力で成し遂げさせることこそ教育であり、教師はその貢献感の中に幸せを見出さなければならない。自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものであり、そのために必要な材料を提供するのが教育である。

 

なぜ褒めてもいけないのか

 「褒める」「叱る」を繰り返すことによって、その共同体は褒賞を目指した競争原理に支配されていく。そして、「他者は全て敵なのだ」というライフスタイルを身につけることになる。競争があるところ、駆け引きが生まれ、不正が生まれる。
 したがって、「競争原理」から「協力原理」へシフトしていかねばならない。「わたし」の価値を他者に決めてもらうこと=依存であり、「わたし」の価値を自らが決定すること=自立である。「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置かなければならない。
※ただし、アドラー心理学の実践者である赤坂真二先生は「生徒との一定の人間関係を築くための手段としては、褒めることも有効である」ともおっしゃっていた。
 
 
 結局『学び合い』と同じで、アドラー心理学を方法論と捉え、表面的になぞるだけの実践に留まってしまうとうまくいかないということなのだろう。アドラー心理学はあくまでも考え方であり、哲学なのだ。「子供を大人にする」ことが教育の目的であるという本質に立脚しているという意味で、『学び合い』もアドラー心理学が極めて近い存在であることに、改めて確信を得た。
 
 後半の「愛」についての理論は、一読しただけではすんなりと理解することは難しかった。少し時間を置いて再読しなければ。しかし、新年度を前にして、実践に活かせる示唆をたくさん得ることができた。この時期は新年度に向けて「何を始めるか」「何を続けるか」「何を止めるか」を考える時期だが、何をすることが「子供を大人にする」のかを念頭において考えていきたい。また「嫌われる勇気」も読み直さないと…。
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

  アドラー心理学を教師としてどう活かすか、については以下の本がおすすめ。

先生のためのアドラー心理学―勇気づけの学級づくり

先生のためのアドラー心理学―勇気づけの学級づくり

 

 

みんな幸せな大人になれ!

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