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人を動かす=ペナルティを与える?

 今年度は主な校務分掌の1つとして、前期生徒会の担当をしている。その活動の一環として、スマホなどの通信機器を夜遅くまで使用することで生活リズムが乱れがちな生徒の割合を減らすため、全校に呼びかけを行うこととなり、今はその提案内容を協議している真っ最中である。

 その提案内容の協議の中では、「夜遅くまで使っている人数を調査し、そのクラスごとの人数を公開する」「学級委員が夜○時以降は使っていないかオンライン上を監視する」といった意見がよく見られる。つまり、極端に言えばトップダウン的な恐怖政治によって人を動かそうという意識が見られるのだ。

 確かにそう考えてみると、部活動委員会で各委員会が出してくる目標も、「ボールが落ちていたら1個につき●●を○周走る」「声を出しているか声出し委員が監視し、できてなかったらペナルティを課す」など、罰則を与える系のものが目に付く。やはり生徒の意識の中で、「人を動かす=ペナルティを与える」という意識があるのだろう。

 そこで、生徒会のメンバーにはこんな話をした。

そうやって罰を与えたり監視したりするルールも効果があるとは思うけど、今回のルールづくりは、先生たちからのトップダウンではなく、『生徒自身が考えた』というところに意味がある。であれば、生徒同士だからこそできる、というものを考えてほしい。先生に言われてもしないけど、仲間から言われたらやってみよう、と思う生徒はたくさんいるはず。それは先生たちには決してできないこと。そのためには、ぜひ『我々もみんなを信じて頑張るから、みんなも我々を信じて一緒に頑張ろう』といった、前向きでポジティブな提案になることが望ましいと思う。

 しかし、なぜこうした意識が根強いのだろうか。その理由はは他でもない、我々教師自身が常日頃ペナルティを与えるという指導をしているのではないか。テストの点数が悪ければ再テストを受けさせたり、生徒指導のために叱責をしたり…そういった教師の行いを、生徒はペナルティと捉えているのではないか。

 もしそうであるならば、我々は生徒を本当に「信じる」ことができていない、少なくともそれが伝わっていないことの証左であるのかも知れない。