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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

今年の1冊「小説」「教養書」「教育書」

 早1年が終わろうとしている。読書メーター上で集計してみると、今年1年で読んだ本は111冊。おそらく『学び合い』関連本がかなりの割合を占めていると思うが、『学び合い』ついて深く学ぶことで、「自分が向き合わなければならないのは、表面的なテクニックではなく根本的な考え方や哲学である」というパラダイムシフトが徐々に腑に落ちてきたおかげで、読む本や印象に残った本の趣向も徐々に変わってきたように思う。

bookmeter.com

 

小説

希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス (文春文庫)

 

  隣のクラスの学級文庫で見かけたので手に取ってみた。おそらく高校か大学の頃にも一度読んだのだが、小難しい話だったような気がする、くらいの記憶しかない。本を貸してくださった先生から「この本に出てくる中学生って、ちょうど先生と同い年くらいですよね」と言われて改めて読んでみたところ、発表から10年以上経過しているはずのにリーダブルさが全く失われていない、それどころかよりリアリティが増していることに驚愕した(インターネット技術に関する内容についてはもちろん時代遅れの部分が多々あるが)。村上龍の慧眼に感服する。

この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。

というセリフは、この10数年でより重みを増してしまっている。

今の日本の社会にはリスクが特定されないという致命的な欠陥があります。2、3パーセント程度の確率で起きる中小規模のアクシデントやクライシスに対するリスクの特定はできているんだけど、0.000001パーセントの確率で起こる超大規模のアクシデントやクライシスに対しては最初からリスクの算出はやらなくてもいいということになっているんです。

というセリフに至っては、何で3.11が起きるって知ってるの?という気持ちになった。

 この物語のような、目に見える形での「エクソダス」は幸いにして起きてはいないが、本来なら十分に「エクソダス」を起こすべき機能不全に陥ったシステムに子どもたちも大人たちも未だにしがみついているのならば、現実は物語以上に不幸だ。

 

 今年刊行された小説の中では、森絵都みかづき」が面白かった。西加奈子「サラバ!」以来のスケールの大きさを感じた。

みかづき

みかづき

 

 

教養書

好きなようにしてください―――たった一つの「仕事」の原則
 

  内田樹先生の書評が詳しいので、「何もない」があるというブログをよく読む。そのブログで絶賛されていたので読んでみた。

nanikagaaru.hatenablog.com

 一言でまとめると、(主にビジネスに関する)あらゆる質問に対して「好きなようにしてください」と回答する、というそれだけの本。そう考えると、アドラー心理学も『学び合い』も、一言にまとめるならば「好きなようにしてください」という言葉に集約されるような気がしてきた。つまり、「好きなようにしてください」=「あなたの決断を信頼していますよ」=「あなたのことを尊重していますよ」ということに他ならないからだ。

 単純に文章表現も面白いので、思わず膝を打つような言葉が頻出する。年が明けたらもう一度読み返してみたくなってきた。

 

教育書

学校でしなやかに生きるということ

学校でしなやかに生きるということ

 

  ハウツーが載っているような教育書とは一線を画す内容。現代の学校の在り方についてメタ認知的に捉えたエッセイ集、といった感じ。

 謝罪会見ばかりだった今年の世相を引き合いに出すまでもなく、年を追うごとに窮屈になる今の日本において、「余白を確保する」「多様性を保証する」といったことを、まず学校という場所ができているだろうか?という問題提起は、今の自分にとってこの上なくタイムリーなものだった。そして、この本を読み終えた直後に、実際に石川先生にお会いできたのも大きかった。石川先生のお姿やお話を目の当たりにして、「しなやか」の意味をより強く実感できたように思う。

 

 ここまで書いて、今年は科学書をほとんど読まなかったことに気付いた。理科という学問そのものよりも、「理科という学問を利用してどのようにして子どもたちを大人にするか」という考え方に興味がシフトしつつあるからだろうか。とは言っても、まずは教師自身が自分の専門教科について見識を深めようとしない、というのはあってはならないので、来年はちょっと意識的に読んでいきたい。