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地方中学理科教師/アクティブ・ラーニング/『学び合い』/アドラー心理学/コーチング/

I can't live without you

 いつの間にやら2月に入り、担任しているクラスの卒業式までの授業日は残り30日を切った。今担任しているクラスは、授業を担当している複数のクラスの中で、最も『学び合い』の考え方が浸透しているクラスである。週に数回しかない理科の授業だけでなく、日々の学級活動の中で担任としての考え方を伝えているので、当然と言えば当然かも知れない。しかし、突然飛び込みでやって来た得体の知れない担任の、初めて体験するようなちょっと変わった授業に対して、1年間に渡って理解を示して力を尽くしてきたのだから、担任として感謝の気持ちしかない。

 この時期になると、年度末の生徒会誌やPTA広報誌に載せるため、クラス全員で寄せ書きを書くように要請が来る。デザインなどの大枠作りは既に進路が決まった生徒にお願いし、受験勉強の合間を縫って各自が自分の欄を埋めていく。

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 こういった寄せ書きには「楽しかった」とか「ありがとう」などといった言葉は割と定番だが、今年は「ごめんなさい」と書いてある生徒が多いことが印象に残った。もちろん深刻な「ごめんなさい」ではなく、日常のちょっとしたことに対する「ごめんなさい」なのだが、個人的にこういった寄せ書きではあまり見たことがなく、あまり似つかわしくない言葉では?と一瞬思ってしまったのだった。

 しかし、「ごめんなさい」が言えるということは、自分が助けてもらった、迷惑をかけたという自覚があり、その事実を認めることができている、ということに他ならない。ある先生が、「コミュニケーション能力を一言で表すと?」という問いに対して「いつでも誰にでも『ありがとう』『ごめんなさい』が言える力」だと答えていて、あまりにも正鵠を射た表現に目から鱗が落ちた経験がある。そういう意味で、衒いもなく「ごめんなさい」と言えるということは、「ありがとう」以上に成熟した人間関係を表しているのではないかと思えたのだ。

 

 「誰にも頼らずに自分で何でもできる、100%自己決定をするスタンドアローンな生き方をする」ことが大人だと思われがちだが、逆に「I can't live without you」の"you"にどれだけたくさんのメンバーをリストアップできるかが大人の要件であり、社会的な成熟度や能力の指標である、というのは内田樹先生の常套句である(「ひとりでは生きられないのも芸のうち」というご著書があるくらいだ)。「私は誰にも『ありがとう』も『ごめんなさい』も言わなくてもいい人生を送るぜ」という生き方は一見カッコいいように思えるけど、それは裏を返せば「私は誰からも『ありがとう』も『ごめんなさい』を言ってもらえない」生き方をする、ということだ。そういう意味で、「ありがとう」「ごめんなさい」が自然と言えるクラスというのは、『学び合い』的にも一つのゴールなのかも知れない。

 

 …というようなことを、明日久々に学級通信に書こう、と思いながら寝ることにする。

 

ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)

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