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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

自主性・主体性v.s.ルール・システム

 1年が終わり、新年度が少しずつ始まろうとしている時期である。3年間持ち上がった子どもたちを卒業させたので、次年度はどのような立場になるにせよ、4月からは新しい環境でスタートしなければならない。

 この3月下旬は、まだ4月からの身の置き場が固まらないモヤモヤする時期ではあるが、3年間の振り返りをして次年度につなげるための貴重な時間である。今あれこれ考えているのは、『学び合い』やアクティブ・ラーニングをベースとした授業や学級経営で核となる「自主性・主体性」と、特に中学校では徹底させないといけないとされる「ルール・システム」の構築は、相反する概念ではないのか…ということだ。「自主性・主体性」を本当に極限まで突き詰めて考えるのならば、「ルール・システム」を教師から与える必要はない(それも必要に応じて生徒が考える)のではないか、と感じるのだ。

 そして、nome2733さんのブログ(赤いダイヤの独り言)を読んでいたら、全く同じことを考えてらっしゃるようだった。nome2733さんは、

システムやルールの上に,安心した学びや学級経営がある

とおっしゃっていて、なるほどと膝を打つと同時に、過去に何かの本(これも西川純先生の本か?)で読んだ、教師の仕事を羊飼いに例える話を思い出した。羊飼い(=教師)は羊(=生徒)を放牧するエリアを制限するために、柵を設けないといけない。どのような柵を設置するのかに、その羊飼いの意図が表れる。例えば、その柵によって、放牧のエリアを広くするのか、狭くするのか…その羊の発達段階に応じた広さを決めなければならない(もちろん柵がなかったり弱々しいものであれば、羊は逃げていったりケガをしたりしてしまう)。また、そのエリアの中にわざと斜面の部分を入れることによって、そこを歩く羊の足腰を鍛える、といった意図を仕込む。そういった羊飼いの意図的な仕掛けの中で、羊たちは知らず知らずのうちに成長していく。この柵こそ「ルール・システム」そのものなのだろう。

 「ルール」や「決まり」といった、”強制的に守らせないといけないもの””生徒を縛るもの”という考え方ではなく、「システム」や「枠組み」という、生徒の自主性・主体性を最大限伸ばすために安心感・公平感を与える手段、と考えるとしっくりくるのかな、と思う。