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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

内田樹先生講演会

 地元の公立図書館主催の記念講演として内田樹先生が招かれるという情報を入手し、妻と2人で一目散に申し込んだ(しかも無料)。定員は200人程度だったらしく、申込開始後あっという間に満席になったらしい。大学時代、ちょうど教職を志そうと考え始めた頃に著書を拝読して「この人を師と仰ごう」「この人についていこう」と勝手に思い込んで以来、10年以上に渡って著書が出る度に追いかけてきたファンの端くれとして、講演の当日を心待ちにしていた。内田先生の表現をお借りすれば、私にとっては10年以上「本やブログを読む」という形を通じて、他の誰よりも(友人や同僚や妻よりも)たくさんの対話をさせていただいてきたお方だということになる。そんなお方に初めてお会いするのだから、否が応にも緊張が高まる。

 

 演題は「本を読むことー人文知の危機をめぐって」(内田先生ファンとしてはこのタイトルだけでもニヤリとしてしまう)。実際にお話をされる様子は、哲学者・武道家といった肩書から連想されるような重厚なものではなく、むしろ「気のいいおじさん」的なそれに近かったことにまず不思議な印象を覚えた。神戸人らしい「関西的なノリ」とも言えるのだろうか。お話は「日本の高等教育(大学の学術レベル)の危機」「教育は商取引ではない」「教育に市場原理やビジネスマインドを持ち込んではいけない」「日本人の知性の劣化は問題ではなく結果である」といういつもの内田節から始まり、それを受けて「読書は他者の視点から世界を見ること」「書物は異界への入口であり、自分とは異なる他者とのコミュニケーションの場」というところに着地した。あっという間の90分間、ノンストップでお話しをされ続けてピッタリ時間通りに終了。よく考えれば90分というのはちょうど大学の講義1コマ分であり、内田先生が大学で長く教鞭を執られてきた生粋の教育者であることを思い知らされた。

 特に印象に残ったのは、質疑応答の時間の最後に1人の女性の「今日はこうして読書好きの方々が集まっているが、実際に本を読まない子どもたちに読書好きになってもらうにはどうすればいいか?」という質問に対するお答えだ。内田先生は、「子どもを大人にするためには、大人が自ら”大人って楽しいよ”というモデルを示せばいい。だから、”本を読むって楽しいよ”ということを大人が伝えていくことが大切」という極めてシンプルな回答を提示された。これこそまさに私が内田先生から学んだ「教育の本質」であり、1人の現場の教育者として試行錯誤してきた部分である。その10年間の試行錯誤の答えが、今の学級・部活動経営や授業スタイルに他ならない。10年経って、やっと少しその本質に近付けてきたのではないかと感じている。

 そして何より、純粋に疑問を抱き、心からの「学びたい!」という思いからこの質問をされた女性の姿こそ、学びに対して広々とした開放性を持ち合わせた「学びの主体」の理想型(アクティブ・ラーナー)なのだと思わずにはいられなかった。

 

 講演終了直後、サイン会の準備までの隙を見てトイレに向かったところ、何と先にトイレに入られていた内田先生と2人きりになってしまった。内田先生の横で暢気に用を足せるはずもなく、緊張のあまりただ直立不動で固まること約1分。トイレを出て行かれる内田先生に思い切って「こんなところですみません!今日はありがとうございました!」とお声をかけるだけで精一杯だった(内田先生はそんな無礼な私にも笑顔で会釈を返して下さいました)。

 その後のサイン会では、最新刊「内田樹生存戦略」に名前入りでサインを書いていただいた。「先程トイレでお会いした者です!中学校の教員をしておりまして、いつも先生の御本から勇気をいただいています!」とお伝えすると、「先生?ああ、確かにそんな感じがした(笑)」とおっしゃっていただいた。内田先生から見て「そんな感じ」というのはどう捉えていいのだろうか???

 

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 聴衆の心をがっちり捉えるオーラや、お話のテンポやグルーヴ感、そして「何だか少し難しいしよく分からないけど学びたい!」と思わせる内容のお話を目の当たりにして、教育者の理想型とは何かということを、内田先生ご自身の姿から体現されているようにも思えた。これまでの10年間の学びを振り返ると同時に、これからに向けての勇気をいただけた1日だった。

 

 

悩める人、いらっしゃい 内田樹の生存戦略

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