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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

「何者」の公開初日初回上映を観た

 例によって午前中妻と息子が出掛けてしまったので、本日公開された映画「何者」を観に行った。公開初日の初回上映だから混雑を覚悟していたのに、せいぜい20人程度の入りだった。さすが地方、とも思ったが、あまりのいいお天気だったからこんな日にインドアで内向的な映画は人気がなかったのかも知れない。

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 映画は比較的原作に忠実で、過去に原作を読んだときの「何でこの小説は自分のことについて書いてあるんだ?」という”あの感覚”を再び味わった。原作を読んだ直後は、この感覚は個人的なものなのか普遍的なものなのかが気になってしまい、いろいろ検索したりレビューを読んだりして、そんな行動こそが主人公・二宮拓人のやってることそのものだと気付き、さらに自嘲的な気持ちになったものだった。今回映画も観たくなったのは、”あの感覚”を再び味わいたいという怖い物見たさの部分が大きい。

 こういった「まるで自分を見ているかのような作品」は、どんどん先を見せてくれと思う反面、気恥ずかしくてもうこれ以上見たくない、という相反する2つの感情が同時に去来する(原作を読んでいてオチまで知っているのに)。この感じ、過去に他の映画でも経験したなーとあれこれ考えたところ、大学時代に観た北野武監督の「Kids Return」を思い出した。

 あの映画も、校庭で自転車を2人乗りしながらの「俺たちもう終わっちゃったのかな…」「バカヤロー、まだ始まっちゃいねーよ!」というラストの名台詞でもって、2人の若者が「何者」かになろうとして結局「何者」にもなれず、そしてこれからも「何者」にもなれないだろう虚しさ・哀しさを表現した映画だ。「何者」も、結局主要登場人物の誰一人として「何者」にもなっていない・なれないという後味の悪さを残して終わる。そういう意味では、「何者」=「大卒版Kids Return」とも言えるかもしれない。

 かつて伊集院光が、ダウンタウン松本人志のすごさは「『松本人志の面白さを本当にわかるのは俺だけだ』とみんなに思わせることができるところだ」と形容した。この「何者」も、「この主人公(or他の登場人物)の気持ちを本当にわかるのは俺だけだ」と我々世代の多くは思うということなのだろう。

 

 前半は原作とそのまんまだなーと思いきや、後半は映像表現ならではの部分もあったり、最後は「イニシエーション・ラブ」のような謎解きのための巻き戻し演出なんかもあったり、原作以上に十分面白かった。90分という長さもちょうど良かった(それでも途中トイレに立った自分の準備不足を恥じる)。そして何よりキャスティングがイメージそのまんま。特にくたびれた理系の院生という役には、山田孝之以上にピッタリの俳優はいないと思う。この時代になっても理系の学生=服装が垢抜けない、という表現方法が有効であるということに一抹の悲哀を感じずにはいられないが。

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)