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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

大阪『学び合い』SORAの会5回目~発表者として参加して~

 2か月に1度開催されている大阪『学び合い』SORAの会に、毎回ではないがコツコツ参加をさせてもらってきてもうすぐ1年が経つ。いろいろな方々のいろいろなお話を聴かせていただくにつれて、自分もこの辺りで…と思い、機会をいただいて実践発表をさせていただいた。「うまくいってます!」などと到底言えない自分がいざ何を話そうかと資料を作りながらあれこれ考えてみたが、変に見栄を張らずに自分が1年前に知りたかったような具体的な実践内容や失敗談を素直にお伝えして、後半の参加者の皆さんによるフリートークの叩き台にしてもらえれば…という気持ちで当日に臨んだ。

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 この仕事をしていると人前で話すのに慣れていると思われることが多いが、『学び合い』を続けていると人前で5~10分以上話すということがほとんどなくなる。とりあえず思い付いたことを羅列して資料を作成したが、どれくらい時間がかかるのか見通しをほとんど持てないまま始まってしまった。30分以内で終わってしまったらどうしよう…と思っていたが、実際はちょっと後半急いで何とか1時間、という感じだった。稚拙な話を熱心に聴いていただき、大変有り難かった。

 

 その後のフリートークや懇親会で話題になったことについてメモ。

 

『学び合い』のマンネリ化について

 1学期は子どもたちにとって目新しさもあり、教師もとりあえず『学び合い』が浸透し形になることを意識するので多くを求めないが、2学期途中~3学期の頃には停滞ムードが漂いがち。その理由としては「子どもたちにとって目新しさがなくなり、自分たちで授業を進めていくことが実はしんどいことを実感し出す」「教師にとって『学び合い』による集団の成長が見えにくくなる」などが挙げられる。今回の会は実践者の方が多く参加されており、時期的なものもあるのか、この話題が最も盛り上がったかも知れない。

 そのマンネリ化を打開するためには、1時間単位から(小)単元丸ごとの『学び合い』に移行するなど、より抽象度の高い(≒達成がより難しい)課題を設定していくことが有効ではないか?(しかし中学校では受験のことを考えると、受験対策=より具体的でピンポイントな課題が要求されはしないか?)

 

『学び合い』の評価について

 『学び合い』(アクティブ・ラーニング)と評価の難しさは多くの方々が感じておられるようだが、現状の「査定し順列をつけるための評価(=受験のための評価)」から脱却してしかなければならないことは確か。

 

『学び合い』の汎用性について

 ある参加者の方が「いろんな教育関係のセミナーに参加するが、『学び合い』の会が最も実りが大きい」とおっしゃっていたのが印象的だった。それは、『学び合い』の会自体が『学び合い』の考え方で運営されているからに他ならないと思う。つまり、『学び合い』子どものためのものであるにも関わらず、それがそのまま大人でも適応可能だということだ。そういう哲学や理論は『学び合い』以外にないのではないか。

 

 自分が失敗談を中心にお話ししたせいか、「自分と同じように失敗された方のお話を聞いて安心しました」という声を多く伺ったので、所期の目的はある程度達成されたと言える。生徒同様、教師にとっても学校は「失敗できない場所」「失敗したら取り返しが付かない場所」になってしまっているのかも知れない。学校こそ「安心して失敗できる場所」であらねばならないはずなのに…いろいろ突き詰めて考えていけばいくほど、学校そのものの在り方に意識が向かってしまう。そういった考えを持った方々とあれこれお話しすることができ、楽しい1日だった。お世話になり、誠にありがとうございました。