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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

何のためにスケッチをするのか

 1年生のこの時期の植物の単元では、スケッチの活動が多い。つい最近「葉・茎・根のつくりのはたらき」の小単元に入ったが、まずは葉のつくりを調べるため、オオカナダモツユクサの表皮を顕微鏡で観察し、スケッチをするところから始まる。

 これまでの一斉授業形式では、

  1. 葉の観察・スケッチを行う
  2. 細胞、葉緑体、気孔などの語句について説明を聞く

という流れで行っていた。しかし、これでは何のためにスケッチをするのか、生徒は焦点化することができない。

 

 門外漢なので詳しいことはわからないが、作文指導においては「読み手は誰なのか」を意識させることが肝要だと言われる。ただ「この学校のいいところを紹介しよう」ではなく、「この学校のいいところを、来年入学する新1年生に伝えよう」とすることで、作文を書く目的が焦点化されるという。

 

 同じことがスケッチでも言えるのではないだろうか。今年度の『学び合い』の実践では、

  1. 「細胞、葉緑体、気孔などの語句を、スケッチを使って説明する」という課題を与える
  2. 葉の観察・スケッチを行う

という順序で行った。こうすることで、「スケッチの目的は、細胞などの語句を説明するときに使うため」ということが焦点化される。

 これまではよく生徒から「どれをかけばいいのか分からない」「どれくらいの倍率で見ればいいのか教えてほしい」といった声がよく上がったが、これに対しても「説明できるようなスケッチであればOK」という指導で済むのだ。

 我々教師は細胞とはどういうものか知っているから、顕微鏡で細胞を見ることができる。しかし、何も知らないところから細胞を発見することを生徒全員に求めることは酷だろう。

 

 観察も実験も、目的そのものではなくあくまでも手段に過ぎないということが、自分自身にもようやく腑に落ちてきたようだ。

 

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