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映画「みんなの学校」上映会&木村泰子先生講演会

 GW初日の29日、夜行バスのため東京に朝早くに到着したので、昭島市で行われた映画「みんなの学校」上映会&木村泰子先生講演会に参加することにした。

minna-movie.com

 

 随分前に大空小学校の本は読んだことがあって、映画も全国各地で上映されていることは知っていたのだけれど、地方在住のためなかなかタイミングが合わずに観ることができずにいた。今回たまたまこの上映会の情報を見つけ、さらに大空小学校初代校長・木村泰子先生の講演会まで行われるということで、はるばる昭島市まで足を運んだ。

 

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 映画の内容は、大空小学校の1年間を密着し、日常を記録したもの。先生方はもちろん、子どもたちや地域の方々も全員本名・顔出しで登場しており、この事実からだけでもいかにこの学校が地域から信頼されているかを窺い知ることができる。

 物語の軸となるのは「支援が必要な児童や不登校傾向の児童に、教師や周りの生徒がどう関わっていくか」という部分なのだが、特に印象に残ったのは座親先生という若い先生だ。強い言葉で児童に対して叱責したことを木村校長先生や他の先生方からたしなめられ、涙ながらに呟いた「初めての担任だし、ちゃんとクラスを統率してると思われなきゃと思って…」といった内容の一言が、まさに昔の自分を見るようだった(というか、今もそういう気持ちが無い訳ではない)。「学級担任とはこうあるべき」「いいクラスとはこうあるべき」みたいな固定観念が、若い先生方を苦しめている部分は大きいのではないだろうか。

 同時に、同じことが子どもたちにとっても言えるのではないかと感じた。「いい中学生とはこうあるべき」「小4ならこれくらいできないと」みたいな固定観念があるからこそ、子どもたちは学校で息苦しさを感じながら過ごす羽目になっているのかも知れない。大空小学校の児童にとって「こうあるべき論」や「比較」「序列化」などといった言葉は一切無縁であるが、それはやはりまずは教師側の凝り固まった考え方をチームとして変えていく他ないと思い知らされた。

 

 午後の講演会では、木村泰子先生ご自身が約3時間立ったまま喋りっぱなし(そうえばポール・マッカートニーも3時間のライブでで水を全く飲まなかった)。映画の中での関わり方に対して、木村先生なりの理論付けを聴くことができ、非常に興味深かった。前述の「こうあるべき論」についても、木村先生の口からお話を聴くことができた。

  • 普通の子って誰?普通という言葉を使わずに普通を説明できない。説明できない言葉は使わない。
  • 「○○は□□だから…」と何かのくくりに子供をはめたがる。これでは幸せになれない。
  • 教師は自分を変えたくないから子供や親のせいにする。こう思ってるうちは楽しくない。自分が学べてないから。
  • 大人が先生ぶると子供は反応する。大人としての権力を行使してはいけない。
  • 焦ってるときや感情的なときは「オレの言うことを聞け!」という権力争いになってしまう。

 

 講演会の後半は、「大空小の卒業生は中学校に行ったらどうなるの?」という質問から、「中学校の指導はなかなか変わっていかない」という話題になり、中学校の現場の人間としては耳が痛いお話だった。中学校は高校入試や部活動など、小学校よりもはるかに「比較」「序列化」の機会が多くならざるを得ないという特性はあるにしても、手段が目的化しがちな”中学校的生徒指導文化”をまずは現場にいる人間が少しずつ変えていくしか道はないと感じた。

 

 他にも、木村先生のお話全体からアドラー心理学や『学び合い』の考え方を垣間見ることができ、非常に心地よい時間だった。勇気をいただくと同時に、なかなか変われない自分にもどかしさを感じずにはいられない1日だった。