内田樹的「Iメッセージ」
内田樹先生の熱心な読者になって久しい。大学生のときに、教員になろうと腹を決めて教員採用試験を受けた頃に「先生はえらい」を読んで感銘を受け、教員になってから「下流志向」や「日本辺境論」などを読み漁る中で「この人を師と仰ごう」と決めた。それ以来のファンである。
実際、内田先生はご自身が大学で長く教鞭を執られていた関係から、教育についてもたくさん言及されているので、教育関係者にもファンは多いことと思う。教育関係の書籍やブログを読んでいても、内田先生の著書からの引用が見られたり、「明らかに影響を受けた文体」のテキストがたくさんあったりする(もちろん私自身も影響を受けている人間の中の一人。こうして括弧を多用するところとか)。
自分自身がこんなにも内田先生の綴る言葉に惹かれる理由として、一つの仮説を思いついた。「内田樹はIメッセージで語る」ことが多いということだ。
例えば、ブログに収められている「言語を学ぶことについて」というテキストがある。内容的にはいつもの内田節なのだが、その最後はこう締めくくられている。
「国語力の増進」というような言葉を平然と使える言語感覚が鈍感さを私は責めようとは思わない。だが、それほどに言語感覚の鈍感な人間が言語についての政治を統制している事実の前にすると、暗い表情でうつむく他にとるべき姿勢を思いつかないのである。
物事や第三者を主語にして語るのではなく、「私は~だ」と自分自身を主語にして語るのは、アドラー心理学やコーチングで有用とされる「Iメッセージ」そのものである。この語り口調が、教育現場で使われるべき文体との親和性が高いのではないだろうか。
内田先生はご自身の身体感覚を基にした思考をされるので、当然と言えば当然かも知れない。しかし、このアサーティブな表現方法は、現場の教師として学ぶべきところが多いと思う。
ちなみに、内田先生はブログで『学び合い』についても言及されている。というか、私はこのブログで『学び合い』を知った。現場の教師に勇気を与えてくれるテキストである。