gan-log

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

『学び合い』セミナーin群馬に参加して

 

f:id:soulbomber:20160131090907j:plain

 『学び合い』を本格的に始めた頃、群馬・高崎で『学び合い』のセミナーがあることを知った。かなり規模の大きいセミナーであるのに加えて、西川純先生も講演されるということで、思い切って参加を決意した。

 無知でお恥ずかしい話なのだが、このセミナーも9回目を迎えるほど群馬は『学び合い』先進特区なのだということを当日初めて知った。群馬やその周辺の先生方が多数いらっしゃっており、最初は誰一人知っている方がいないという状況であったが、ぜひお話したいと思っていた赤いダイヤの独り言さんなどに話しかけていただき、懇親会までたくさんの方々と接することができた。

 

 いろいろな気付きがあったが、1つのキーワードとしては「押しつけないこと」「強制しないこと」だろうか。

 というのも、前日の金曜日、課題の全員達成ができなかったクラスの1つに、「1人も見捨てない」ことについて少し強い指導を入れてしまっていた。自分の考え方を押しつけてしまったのである。それを引きずったまま、今回のセミナーに参加していた。

 

 思えば、私は内田樹先生の共同体論に共感して『学び合い』を知ったし、他にも同じ中学校教師として堀裕嗣先生の実践や考え方にも深く感銘を受けた。そしてもちろん、西川純先生の「1人も見捨てない」という考え方は、全ての教師が忘れてはならないテーゼだと思う。

 しかし、それらの考え方は、いずれも誰かからトップダウン的に押しつけられたり強制されたものではない。自分から自然発生的に「共感」しただけに過ぎない。そもそも『学び合い』という考え方自体が、有志の先生方からボトムアップ的に誕生したという経緯がある。ということは、これらを生徒や他の先生方に押しつけたり強制することはあってはならないはずである。できることは、願い、祈り、そして信じることだけなのであろう。

 アドラー心理学的に言えば「課題の分離」である。水呑場までは連れていけるが、水を呑ませることを強制してはならないのだ。

 だから、我々は「語る」しかないのだろう。武器はそれしかないのだから、急いでも仕方ない。ボトムアップ的に「共感」を増やしていくことこそが大切なのだと考えた。

 週明けの授業はそこから始めよう。