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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

生徒ができること、教師しかできないこと

 2週間に渡る学校祭期間が終わった。今年は生徒会の主担当という立場で、文化祭全体に係る仕事がたくさんあったため、夏休みからずっと気を張っていた状態だった。毎年こうした行事が終わっていくのは名残惜しいのだが、今年は生徒会が無事終わるのかが心配で「早く終わって欲しい」と思わずにはいられなかった。

 

 1週間前の体育祭では総合優勝を始めいくつかの賞を獲得することができたが、文化祭では無冠で終わった。特に今年は合唱コンクールの練習において、教師側からの口出しを極力せず、あくまでも「見守る」「提案する」だけに留めることを意識したのだが、イメージしていたゴールにまで今一歩届かなかった感がある(あと1週間あれば…という印象)。特に、これまでは男声のパート練習を中心に具体的な指導をしてきたが、今年は生徒からの要請があったときのみ、数えられる回数程度行っただけに留めた。合唱全体への指示も同様であった。その結果、これまでであれば教師が介入していた課題を生徒が自ら解決しようとする姿が増え、部分的な成果はあったと感じている。

 昨日の打ち上げで、合唱コンクールの最優秀賞に輝いたクラスの担任の先生とじっくり話す機会があった(その先生のクラスは前任校から合唱コンクールを6連覇されているらしい)。その先生も、傍目にはあまり生徒に直接的な指導はしていない印象があったのだが、生徒に対しての語りは常に欠かさなかったという。音楽的な技術の向上は生徒同士で可能であるが、一番大切なことを語るのは教師しかできない。この考え方は、『学び合い』授業における「語り」と同じである。「生徒主体の活動」「勝敗にこだわらない指導」というと聞こえはいいが、そのために自分は教師側が本当にしなければならないことまで放棄してはいなかったか。この視点から、今一度自分の教師としての在り方を見つめ直していかなければならないと痛感した学校祭だった。