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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

「教師の資質」諸富祥彦

 

教師の資質 できる教師とダメ教師は何が違うのか? (朝日新書)

教師の資質 できる教師とダメ教師は何が違うのか? (朝日新書)

 

  教頭先生からお借りした1冊。群馬に向かう北陸新幹線の中で読んだ。

 現場の一歩外から見た教師の資質について、著者の考えがずらずらっと並べられており、やや冗長な印象を受ける。教師なのか保護者なのか、誰を読者として想定しているのかがよくわからない。

 

 第4章「担任教師に求められる『学級経営力』」では、担任としての資質は何で決まるかについて論じられており、否が応でも堀裕嗣先生の「スクールカーストの正体」と比較してしまう。 

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 「教師の資質」の中では、担任としての資質を決めるパラメーターとして「リレーション」と「ルールと秩序」の2つが挙げられている。言わば「アメ」と「ムチ」の二項対立であり、特に目新しい洞察とは言えない。

 その点、スクールカーストの正体」では、<自己主張力><同調力><共感力>の3つのパラメーターが用いられている。この場合、<自己主張力>≒「ルールと秩序」、<共感力>≒「リレーション」と見なすことができるだろうか。その2つの中に、子どもにとっての「ノリ」や「空気を読む能力」としての<同調力>を、教師にも必要な能力として加えたところが堀先生の慧眼である。

 

 しかしながら、第6章「新たな時代に求められる『教師の資質』」の中で述べられている”Responsibleな人間であること”という内容は大変示唆に富んでいる。「response(応答する)」+「ability(能力)」は「responsibility」、つまり「責任能力」のことである。

「答えなき問い」が山積みのこの世界の中で、それぞれの問いに直面し、それをどう引き受け、どう応えていくか。そのことを私たちは日々問われているのです。 

 (中略)

Answerという意味での「正答」はないけれども、Responseという意味で「応答」することはできる。

 

 この「責任」について、内田樹先生は「困難な成熟」の中で以下のように述べている。

きちんと機能している社会、安全で、そこそこ豊かで、みんながルールをだいたい守っている社会に住みながら、かつ「責任を取ることを人から求められないで済む」生き方をしようと思ったら、やることはひとつしかありません。
それは「オレが責任を持つよ」という言葉を言うことです。 

 

 この社会で起きる全ての物事に対して、「自分は関係ない」「正答がないんだから仕方ない」「責任を取ってくれる人がどこかにいるはず」ではなく、「自分はこの問題に向き合わねばならない」「責任の一端を担わねばならない」「誰かがではなく自分がやらなくてはならない」と応答して引き受ける”大人”を1人でも多く世に送り出すこと。これが、これからの時代の教師にとって欠かせない資質となるということだろう。

 

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