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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

「困難な結婚」内田樹

 

困難な結婚

困難な結婚

 

 年末に一度読んだのだが、あまりにも面白かったので、年の瀬に次男が誕生したことをきっかけに改めて精読した。

 「困難な成熟」に続く、ウチダ式「困難な○○」第2弾。この「困難な○○」というタイトルは、フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナス著「Difficile Liberté」の日本語訳「困難な自由」から取られている。「困難な自由」のまえがきにあるように、フランス語では本来「形容詞+名詞」の語順を取るので、「Difficile Liberté」という表現は本来おかしいのであるが、「白い雪=La blanche neige」のように、名詞のうちに含まれる性質を表す付加形容詞の場合は、形容詞が名詞の前に来る。つまり、「困難な結婚」という表現には、結婚はそもそも困難なものであり、「容易な結婚」というものは存在しない、というニュアンスが含まれている。そして、この含意こそがこの本の全てと言ってしまっていい。

結婚というのは、「自分には理解も共感も絶した他者」と共に生活することです。「おのれの賢しらの及ばない境地」に対する敬意と好奇心がなければ、なかなか継続することの難しい試練です。(p.101) 

  2人の子供の親になって強く感じたのは、我が子でも「他者」である、ということだ。血を分けた我が子ですら、何を考えているかよく分からないし、イラッとしてしまうことだってよくあるし、もちろんコントロールするなんて絶対に無理な話だ。でも、そんな他者に過ぎないのに、「この子のためなら命を捨てられる」と思えてしまうという、不思議な感覚が存在するのだということを、親という立場になって初めて知った。

 我が子ですらそうであるのに、ましてや教師が人様の子どもに対して「あの子はこういう子だから」と決めつけたり、コントロール下に置こうとしたりするのは、あまりにも「敬意と好奇心」を欠いた行為に思えてしまう。

 

 その他、内田先生の金言を備忘録的にメモ。

目の前にいる人よりももっとましな相手がいるんじゃないか、ここで手を打ったらあとで後悔するんじゃないか……というのは「自分はこんな程度の人間じゃない」という自負の裏返しです。今の自分が受けている社会的評価はこの程度だけど、ほんとうはこんなもんじゃない。ほんとうはもっとすごいんだという自己評価と外部評価の「ずれ」が「こんな相手じゃ自分に釣り合わない」という言葉を言わせている。(p.24)

「仕事がつらいのでじっと我慢しているのだが、仕事をさせるとたいへん有能である」という人にあったことがありますか。僕はありません。仕事の90%くらいは他者とのコミュニケーションです。適切なメッセージのやりとりをすることを「仕事をする」と言うのです。コミュニケーションが適切にできない人に仕事がてきぱきとこなせるはずがありません。(p.48)  

葛藤というのは「喉にささった小骨」のようなものです。いつも気になる。でも、人間の身体はその小骨を溶かす消化液を絶えず分泌していますから、気がつくと小骨は消えてなくなっている。小骨は消化液の分泌を促進するひとつのきっかけでもあったということです。(p.52)

誰にも制約されない生き方って、言い換えれば「誰からも頼みにされない生き方」ということですよね。あなたを頼り、「あなたがいないと生きてゆけないんです」とすがりつく人が一人もいない生き方をするということです。(中略)そういう人物を目指して自己造形したいと願う人って、ふつういないと思います。僕たちは「人から頼られるような人」になろうと思って、子どもの頃から努力してきたんじゃないですか?(中略)そういうふうに「頼られる」人間であることが、社会的な成熟度や能力の指標であるのではないですか?(p.142-143)

 

 全体的に割とフレンドリーなお悩み相談の形式で構成されているが、最後の最後、福沢諭吉の国家論と結婚を対比しながら、内田先生が突如厳しい表現をされた言葉が、一番印象に残った。

結婚してるのに他の人を好きになっちゃったのですけど、どうしましょうというような寝ぼけた質問をしてくる人に僕が申し上げたいのは、そういう薄っぺらなことを平気で口にできるような人は、もともと結婚生活向きじゃないということです。(中略)別に結婚しなくてもいいじゃないですか。(中略)誰からも文句言われない気楽な生き方をすればいいじゃないですか。なんで、「その上」 結婚までしたいんですか?僕にはそれがわからない。(p.262)

 内田先生から「成熟せよ」「大人になりなさい」と喝破されているようで、身につまされるながらも痛快なラストだった。