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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

教育会セミナー3人会に参加して

 部活のない日曜日。長男を実家に預け、妻と共に大阪へ石川晋先生、金大竜先生、福島哲也先生のセミナーに参加。「教室の今を考える」というテーマで、3人の先生方から授業の在り方や学級経営についての実践をお聞きし、それについて参加者が意見交換をするという会だった。

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 金先生福島先生ご両人の実践は過去にお聞きしたことがあったのだが、石川先生の「教室から離れて」というテーマでのESD(持続可能な開発のための教育)のご提案は、一見するととても意外な切り口だった。こういったセミナーでは基本的に「変わるために教師が何をするか」という文脈で語られることがほとんどだが、ESDの考え方は言わば「変わるために教師が何をしないか」という逆説的な切り口に思えたからだ。しかし、石川先生のご著書「学校でしなやかに生きるということ」にも書かれている通り、この考え方こそ石川先生が紛れもなく「今教室で大切にしていること」に他ならないのだろう、と考えるとしっくり来る。

 ESDのためには、まず我々教師の仕事がsustainable(持続可能)でないといけない、という至極真っ当なご提案で、今自分がいろいろと考えを巡らせている部分との親和性が非常に高く、まさに今現在の石川先生からしかお聞きすることができない貴重なお話を聞くことができた。奇しくも電通の女性社員の一件により、ワーク・ライフ・バランスについての議論が活発になってきているという時代の追い風の中で、我々教師は子どもたちに最も身近な「労働者のモデル」としての機能を果たさなければならない、ということを改めて考えさせられた。その部分を出発点にすることなしに、授業の在り方や学級経営について語るべきではないのかも知れない、とすら感じた。

 

 最後の鼎談では、ESDの考え方に絡めて「若い頃の”ガンバリズム期”は必要か」「協同学習や『学び合い』のためには一斉授業のテクニックも必要か」という話題になった。確かにそういった一時的な経験からの反動形成のような形で今のスタイルに移行した、という方々のお話をよくお聞きするが(自分自身も含めて)、言わば跳び箱を跳ぶときのロイター板みたいなもので、なかったらないで特に問題がないように思う。金先生が「協同ネイティブ世代」(換言すればいわゆる「ゆとり世代」になるのか)の先生の登場が楽しみだとおっしゃっていたが、その世代の先生方が学校社会の中で多数派になると、意外と変化は速いのかも知れない、なんてことを考えた。

 

 朝から夕方まで、20人程度という普段の教室かちょっと小さいくらいのサイズでの濃密な1日であった。お三方の先生方の教室でも、子どもたちはこのような心地よい疲れを感じながら学んでいるのだろうなー、と思いながら帰路に就いた。またこうしてたくさんの素晴らしい先生方の実践に触れ、授業やクラスの可能性に胸が躍った。金先生の「一人一人に没入する」や、福島先生の「Now or Never」といった言葉を胸に、教室の中で生徒とともに過ごしていきたい。

 

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