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むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

この1年を振り返って

 2015年最後の日に、この1年を振り返ってみる。2015年3大ニュース。

 

1.1児の父親になった

 2月に長男が生まれた。

 先輩の先生から「自分の子供ができると生徒への指導も変わるよ」と言われたことがあったが、少しずつ実感する1年となった。自分の息子との関わり方が生徒との関係に活きるというよりも、「血のつながった自分の子供ですら管理できないのに、人様の子供を管理しようだなんておこがましい」という境地に至ったことが大きい。

 もちろん、これまで遅くまで学校に残って仕事をしていたが、息子が生まれて以降徐々に退勤時間が早くなったことも大きな変化として挙げられる。仕事をテキパキ片付けたり、最悪家に持ち帰れる仕事は家でするようになった。20代の頃は本当に仕事ばっかりで「これで所帯を持つことになったらどうなるんだろう?」と思っていたが、何とかなるものである。

 

2.インフルエンザに罹った

 物心ついてから病気らしい病気をしたこともなく、ここ10年くらいは風邪を引いたこともなかったので、「次に風邪を引くときは死ぬときですかね」などとほざいていたらまんまとやられた。1月の3連休に京都へ遊びにいったのが原因のようで、週明けから1週間丸々欠勤することとなった。

 1週間休んでみて気付いたことは、「自分1人いなくても学校は十分機能する」ということだ。採用になってから8年、ずっと働き詰めだったので妙な勘違いをしていたのかも知れない。自分1人の力量なんて大したことないと、この歳になってやっと達観することができた。この経験が、長男出産後のワークバランスの保持にも大きく影響をしていることは間違いない。

 

3.一斉授業の限界を感じた

 採用から8年。今年は新採用の若い先生が赴任されたり、公的・私的な研究会に参加させていただいたり、研究授業を公開したりして、これまでの自分の授業の在り方について深く見直す機会をたくさん作ることができた。

 新採用の頃はとりあえず「1回1回の授業をいかにソツなく流すか」ばかり気にしていたが、その後「いかに1人1人の学びを見取るか」を模索していく中で、教師1人ー生徒数十名という一斉授業の形式では、相当早い段階で限界にぶち当たることを確信した。そんな折、西川純先生の「アクティブ・ラーニングとしての『学び合い』」論と、これまで自分が敬愛してきた内田樹先生の共同体論がシンクロし、「これからの時代にマッチする教師の役目はこれしかないんじゃないか」という心境に至った。「アクティブ・ラーニング」というトップダウン的な表現に半ば辟易していた部分もあったが、時代の趨勢として「アクティブ・ラーニング」が求められていることを実感することができた1年だった。

 

 こうしてブログも始めたことだし、来年は恥ずかしがらずにもっともっとこうして自分の思いや実践を文章にして表現していく1年にしていきたい。来年もよろしくお願いします。